芝居と食い倒れの街、道頓堀。時代は流れても人々の活気と喧噪は変わらない。この街を愛し、この街に生きる若者を暖かく見つめるDOBOX(ディオボックス)のオーナー、岡嶋隆光氏にその心意気を伺った。
このたび、DOBOXが完成しました。乗用大型車46台、ハイルーフ車26台、合計72台を収容するパーキングタワーと地上3階建ての商業用テナントビルです。
私の父には先見の明があったのだと思います。「これからは車の時代になる」と言って、父が駐車場経営に乗り出したのは、昭和27〜8年の頃だったと記憶しています。当時はまだ、リヤカーと自転車が圧倒的な時代で、駐車場とはいえ、お預かりしている車の台数はたった3台でした。もともと、道頓堀は豊臣秀吉の命を受井道頓が河川工事の費用を捻出するため、大阪中の芝居小屋を一ヶ所に集めたところから、芝居の街として栄えるようになりました。
浪花五座、(弁天座・朝日座・角座・中座・浪花座〈竹本座〉)「いえば、当時は日本演劇界の西の雄、ブロードウェイのような賑わいだったのではないかと思います。芝居に附随する飲食業も繁盛し、「食い倒れの街」として歓楽街が形成されてきた歴史があります。
父は愛着を込めて「駐車場といっても、いわば履物をお預かりする下足番のようなものだ」と言っていました。「当時から紀州街道(現堺筋)に向いているため、近畿一円から遊びに来るお客様の車をお預かりして、道頓堀、千日前の遊び場に御案内したものです。
今や、大阪の盛り場の中心は御堂筋に移ってしまった観がありますが、私にとっては故郷の道頓堀を昔の賑わいのある街にしたいのです。ですから、このビルもいわば道頓堀の下足番にしたいのです。
ビルの1階、駐車走行口の部分をあえて広いオープンスペースにしたのも、地域の若い人たちにどんどん活用してもらいたいという意図があってのことです。天井には展示パネルや照明を取り付けられるようにしてありますので、ライブハウスやイベントスペースとして大いに使ってもらいたいのです。
若者が楽しめて活気がつけば、街も元気になります。それはビル全体の繁栄にもつながると思います。パーキングタワーの部分をマットブラックに仕上げたのも、ゆくゆくはこのタワー壁面にスクリーンを貼り、このビルの屋上をシアターにしたいと思ったからです。
50年近く駐車場業を営んできまして、駐車場タワーというのは「見せる」か「消すか」だということが分かってきました。当初は「見せる」方向に行きたくて、総硝子張りのタワーを計画しました。外からお客様が愛車のフォルムを見られたら楽しいのではないかと思ったのです。ところが経費がかかり過ぎるのと、危険物取り扱いの側面もあって、硝子張りでは許可がおりない。そこで、見せられないなら消そうということになりました。黒く塗ってしまえば、タワーは夜の闇に溶け込んで見えなくなります。威圧感がなくなるのです。
駐車場で御案内するスタッフも女性を中心に揃えました。優しい笑顔と明るい応対で、ゲストに快く駐車場を利用していただきたいのです。地域のガイドもできる、ホテルのフロントやコンシェルジュのような働きを期待したいですね。
テーマは「温故知新」。日本には古来より、風土にあった良い建築法がありました。奈良の正倉院にみる校倉造りや、芝居の街道頓堀を象徴する芝居小屋をイメージしたその外観は、暖かみがあるテラコッタのルーバーで外観を覆いました。
常滑の窯元に出かけ相談したところ、若い陶工たちが目を輝かせて協力を申し出てくれました。あの目の輝きを見ただけでも、この試みをしてよかったと思いました。テラコッタのルーバーは風通しがよく、昼は熱い陽射しを遮り、夕暮時には紗の幕を掛けたような効果があります。駐車場もひと工夫しています。入口には上から海底の揺らめきをイメージした照明をあてて、遊び心を演出しています。
駐車設備には日精のエレベーター式(フォーク式)ELパーキングを採しました。これはまず、スピードが速ですね。50秒〜1分20秒で車の出庫ができます。例えば、お客様が車の中に忘れ物をした場合も、イライラと待たせることなく対処できます。その間、案内係とお話していただけば、ご近所のガイドもできます。
「私はこのELパーキングに「わずかな時間でゲストの愛車をベッドイン」というキャッチをつけさせていただきました。垂直、水平だけの単純な移動で、車を段ベッドに寝かし付けるようなイメージです。複雑な動きがな一いということは、それだけ速くて、安全だということだと思います。
どなたにもご満足いただける設備だと自負しておりますので、大阪の道頓堀にいらした際には、ぜひ一度道頓堀のディオパーキングに、お車を預からせてください。
乗込階平面図(1階)
後方の黒い建物はELパーキング
ELパーキングの入出庫口は段差が少ないため車の乗降がしやすい
道頓堀の案内役でもあるパーキングレディ